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パース (HMAS Perth, D29) は、オーストラリア海軍の軽巡洋艦。パース級。 ==艦歴== パースはポーツマス工廠で1933年6月26日に起工。1934年7月27日に進水し、1936年6月15日にイギリス海軍の軽巡洋艦アンフィオン (HMS Amphion) としてポーツマスで就役した。アンフィオンはオーストラリア政府に購入され、1939年6月29日にポーツマスでパースとしてオーストラリア海軍に就役した。 1939年7月26日、パースはオーストラリアへ向けてポーツマスを出航した。8月4日、ニューヨークに到着し、8月16日まで滞在。8月21日、ジャマイカのキングストンに到着。8月23日に出航しパナマ運河へ向かうが戦争勃発の可能性が高まったことでオーストラリアへは向かわずカリブ海に留まることになった。第二次世界大戦開戦後、パースはカリブ海でドイツ商船の逃走阻止などに従事した。10月にはイギリスに向かうKJ3船団を途中まで護衛した。11月22日、パースはパナマ運河を通過し太平洋に出た。11月25日、ココ島でカナダ海軍の駆逐艦オタワとレスティグーシュに給油を行った。11月29日にパナマ運河を通過しパースはカリブ海に戻った。1940年2月29日、キングストンを出航。3月2日にパナマ運河を通過しオーストラリアへ向かった。3月17日にタヒチ島パペーテに到着。3月25日にフィジーのスバに着き、3月31日にシドニーに到着した。 1940年終わりからパースは地中海で活動し、1941年3月にはマタパン岬海戦に参加、4月にはギリシャからの撤退を支援した。続いてクレタ島からの撤退を支援し、5月30日に爆撃で直撃弾を受けた。パースはアレクサンドリアで修理を受けた。修理完了後、6月26日にパースは、シリア・レバノンでの作戦を支援する部隊に加わり、フランス軍に対する砲撃などに従事した。 その後東南アジアに移り、1942年2月27日重巡洋艦エクセター、ヒューストン、軽巡洋艦デ・ロイテル、ジャワなどとスラバヤを出撃、ジャワ島攻略に向かう日本軍の船団の護衛艦隊と交戦した。このスラバヤ沖海戦で連合軍は敗退。28日、パースはヒューストンと共に離脱してタンジョン・プリオクに入港した。同日2隻は出港し、スンダ海峡経由でジャワ島南岸のチラチャップへ向かった。その途中日本軍の船団を発見、それを攻撃したが日本軍の護衛艦隊との交戦で2隻とも撃沈された(バタビア沖海戦)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パース (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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